五輪やパラリンピックの金メダリストにインタビューしていると、自己嫌悪に陥る感覚がある。
日本が強豪国の車いすテニスは、特にそうだ。
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国民栄誉賞を授与された国枝慎吾さんは「練習で1球たりともいい加減に打った記憶はない」。
18歳の小田凱人は2021年の元日から大好きだった清涼飲料や甘い菓子を口にしないと誓い、パリ・パラで金メダルを射止めた。
パリで2冠を成し遂げた上地結衣は「世界ランキング2位の自分は許せない」と公言する。
あまりのストイックさに、凡人は親近感を抱きにくい。
パリ・パラで上地と組んで女子ダブルスの金メダルに輝いた田中愛美がまとう空気感は、違う。
海外遠征の際は「(現地で)行くべきご飯屋さん・カフェとかスポット誰か知りませんか―――? 観光地でもショッピングでも美容クリニックでも」とSNSで呼びかける。テニス以外の人生も満喫したいタイプに映る。
富士見中学校高等学校(東京都練馬区)でテニス部に所属していた田中は高校1年だった13年1月、転落事故で脊髄(せきずい)を損傷した。車いすテニスを始めたのは、テニス部顧問が「プレーヤーとして戻ってきなさい」と進言してくれたからだ。
東京パラの開催が決まったのは、その年の秋。自国での祭典が目標になった。
そうはいっても、青春のすべてをテニスに捧げる、という貪欲(どんよく)さは正直なかった。
メダルとは縁がなかった東京大会を経て、2度目のパラリンピック。上地との急造ペアで決勝進出を決めた直後の取材で、田中は言った。
「試合中に自分を落ち着かせるのは少しできたかな。最悪、上地選手に任せればいいや、という感覚だったので」
上地に依存し、自分は足を引っ張らなければいい。メモを取りながら、田中のそんな心持ちを想像した。決勝の勝機は薄い。勝手に予想した。
ダブルスは残酷だ。ペアのう…